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深いよ腐女子思考

腐思考に関して。

ボキャブラリ不足で自分が表現できない言葉の羅列に、本当に自分の気持ちをよくぞここまで代弁してくれたと手を叩いた記事を発見。(笑) まったく同じ思考回路の人がいることが心強く思えた^^あたしがサイト運営してるのもここに書いてある通りだし、これ見よがしに餌をチラつかせられると絶対に食いつかないって天邪鬼なトコもね。

ちなみに記事ではBLとしか表現されてないけど、腐女子にはJUNE派もいるとか。男同士のCPでもBLとJUNEとは違うらしいです。あたしはJUNEを読んだことがなくソレがどういうものなのか知らないのでこれに関しては多くは語れませんが、詳しい(語れる)方にはぜひお話を伺いたく…^^これらの定義は個人の意見や思考によってさまざまに解釈されるのではないかと。


長いので一気に読みたい人用に隠しにてUPしてます。(そして自分用に永久保存。笑)




「オタク」の中に「腐女子」は含まれるが、「腐女子」の中に女の「オタク」は含まれない。腐女子は、女オタクのオプションである。「オタク」という概念が広く行き渡り、ファッションオタクとか、スポーツオタク、健康オタクに歴史オタク等等、あらゆる種類のオタクが存在するようになった現在、オタク回路も普通の人々についたオプションであり、(食玩のようにオプションのほうが本体より比重が高い場合が多いが)さらにそのオプションとして腐女子という回路があるというのが現時点での私の認識だ。

先ごろジェイムズ・ティプトリー・Jr.賞を受賞した漫画家のよしながふみが対談集「あの人とここだけのおしゃべり」で「バイリンガルのようなもの」と表現した腐女子回路。思考するさいの言語の差が違う物語を紡ぎだす、といった作用をする。あるいは「フィルター」のようなもので、そのフィルターがある人は物事を、2通り以上に見ることができるというだけのことだ。同じカメラで撮った風景がフィルターによって、鮮明に見えたりセピアがかって見えたりするのと同じであるとお考えいただきたい。

「腐女子」をターゲットにした市場があるのかどうか?という問題に、現時点で答えるなら「そこに市場はない」だ。そこには際限なく細分化された嗜好があるだけで、マスとしてのマーケット(市場)はない。腐女子の外側からそこに何かを売りたい人々はそこのところを誤解している。たまたま何かがヒットしたとして、それは単に「それを嗜好する人がちょっと多かった」もしくは「多数の嗜好を内包していた」というだけのことにすぎない、と思う。

「漫画やアニメは好きだけど、オタクってほどじゃない」という人がよくいるが、そういう人も、オタク回路は持っている。その回路にどれだけメモリを割りふっているか?思考するさいに、その回路が起動する割合が低いか高いか?の差があるだけだ。同様に、「BLっぽいのは嫌いじゃないけど、腐女子ってほどじゃない」という女子も多い。
実は私もそうだ(った)。映画やテレビ、漫画や小説やアニメを見たり読んだりした時に腐女子回路が作動し、「萌え」てしまう時もあるが、常にその回路がフル回転しているわけではない。常に回路フル回転で、「醤油とソース」「エッフェル塔と東京タワー」「四国と九州」「鳩○と○沢」などなど、どんな組み合わせでも、受け(女役=ネコ)攻め(男役=タチ)を考えてしまうほどのプロの腐女子、「貴腐人」の皆様に比べたら、私のようなものはっ、とてもとてもっ...ちょっとかじっただけの新参者でございます! すいませんすいません...お許しください.........と、いう感じである。

しかしながら、非オタな人々にとって微妙な違いなど関係なく、「萌え」文化に反応するオタク回路が多少なりともあれば、まるごとオタクに分類されてしまうように、非腐女子な人々から見れば、どんなに弁明しようが抗おうが、私もやはり腐女子なのである。

BLの定番セリフに「俺はゲイじゃない! たまたま好きになったのが男だっただけだ!」というのがあるが、それ風に言うと「私は腐女子じゃない! たまたま今回、男同士に萌えちゃっただけなの!」ということになるだろうか。どんなに声高に叫ぼうとも「人はそれをゲイというのだ」と同様に「人はそれを腐女子と呼ぶのだ」。

なにかにハマることは恋に似ている。恋の矢が刺さるように萌えの矢が刺さる瞬間がある。若者についていけるだろうか、とため息をつく「それ」に遭遇した時、萌えの矢は私の脳を貫通し脳内にそれ専用の回路ができてしまった。多少なりとも関連性のある事象や風景の中に、脳内でその姿を合成したり架空の物語をつむいだりしてしまう妄想回路だ。

気になりだすと、常に彼のことを考えている。寝ても覚めても彼の顔がちらついて仕方がない。というのは、恋するオトメの反応だが、今回のそれが今までとは違うのはその対象が「二次元キャラ」だったことだ。
そのキャラクターイメージを脳内で独自に分析し、解釈しつつ膨らませていく。やがて、原典となる作品の中のキャラクターに勝手に膨らませたイメージが融合したキャラクター像というのが出来あがる。二次創作の始まりである。

気になるヒトやモノに遭遇し脳内がそのイメージでいっぱいになると、アウトプットのために絵に描いてしまう、というのは多少なりとも絵心のある人なら解ってもらえるんじゃないだろうか。そうして描き散らかしているうちに気が済んでしまうことも多い。

腐女子市場を成立し難くさせている原因のひとつに、「腐女子の本能」とでもいうべきものがあると思う。昨年の大河ドラマ「天地人」はかなり「狙った」作りになっていた。「殿と従者でどうぞ萌えてください♪カップリングは殿攻の従者受です。配役は北○妻○木です、ね、こういうのお好きでしょ?」という...なんとなーくおしつけがましい匂い。公式にコミカライズされるというニュースで見たキャラデザインはやおい系の絵師が描いたと思われる「いかにも」な感じ。はたしてその時、天下のN○Kは解っていただろうか?腐女子狙いの大河ドラマより、ちょっと前に放送して好評だった社会派経済ドラマ「ハゲタカ」のほうが腐女子に根強い人気があることを。


キャンプファイヤー状態で「腐女子の皆さんいらっしゃい♪」とばかりに火を囲んでギターに歌、という状況で待っていても腐女子は遠巻きにするくらいで、そうカンタンに集まってはこないのだ。釣り針は大きければいい、というものではない。腐女子回路は「いえいえ、そんなつもりは毛頭ありませんよ...」という佇まいの作品やキャラにでもやおいの香りをかぎつける。まったく火の気配のないようなところに煙をたてることこそ、腐女子の本懐なのである。


その腐女子を相手にするのなら火など熾してはいけないのだ。微かに、仄かに煙の匂いをまとわせる程度が良い。仄かに香る煙の匂いをかぎつけさせる、そのさじ加減は相当に難しい。腐女子というのは、実に天邪鬼なものなのだから。
この広大なネットの海には、情報もあふれているが神々もまたあふれている...。ネットの海にいる神とは、「私の理想を具現化してくださる才能」のことだ。

私は、ネットの海に「萌え」を求めてさまよいだす。二次創作のサイトは星の数より多いのだが、同じジャンルで、同じキャラ萌えで、さらに嗜好の合うサイトに巡り合うのはなかなかに難しかったりする。何年か前に、茨道(きわめてマイナーなジャンル、もしくはカップリングを嗜好すること)にハマッた時は、たったのひとりしか神様を見出せなかったこともあった。

しかしながら今回のハマりものは今まさに勢いを増す大手ジャンルであった。さらにいうと、厨ジャンル(困ったファンの割合が多いと他から思われているジャンルのこと)でもあった。数が多すぎるのもそれはそれで大変だ。「すいません!間違えました!」とか「ごめんなさいごめんなさい!無理です!」とかつぶやきつつ、アクセスした途端に引き返し引き返してはまたさまよう...。そんなことを繰り返しながらそのサイトにたどり着いた時、「あなたが神か?!」と声無く叫んだと同時に一応アカデミックに学んだはずの私の絵心はたいそう凹んだ。

今流行りのアニメ系とも萌え系とも一線を画す恐るべきデッサン力に基づいたその絵師に惚れこみ、隅々までサイトを眺めると、どうやらその絵師はフツーの学生さんらしかった。絵を学んでいるわけでもないようだ。才能=ギフトってこういうことか~...と、凹みつつ、「この神様産めるな...たぶん、こんな娘なら産んでみたかった」などと、詮無いことを思いつつ、その絵師の描き出す二次創作世界に惚れこんだ私は、そこに掲載されているメアドにメールを送った。「あなたが神か!」とはもちろん書かないが、まあそんなような内容である。そして何回かメールのやりとりをした。

ある日のことだ。そのことを長い付き合いの友だちに報告した。「ああ、アレいいですよねー私も好きなんですよー、とかってメールやりとりするんだ?」とコメントした彼女に、私は「そんな通り一遍なこと話すかよ!」と言い放つ。
(好きとか良いとかそんなことは大前提であり当たり前すぎて話す必要もないことなのだ)

自社や自分のサイトやブログを検索エンジンで上位に表示されることに血道をあげる人々がいるのを他所に検索エンジンに引っかからないために血道をあげる人々がいる。同人系(特に腐女子系)の二次創作サイトの人々だ。そりゃービジネスと関係ないサイトだからでしょ?というのはカンタンだが、全く無関係かというとそうでもない。メニューに「オフライン」という項目があるサイトはコミケや通販等で自費で刷った本を売っているのだから、宣伝や売り込みの意図が皆無ではない。むしろ、宣伝したいし売り込みたいのだ。ではなぜ彼女たちは検索に引っかからないための「検索避けという呪文」を唱えるのだろうか。

産めそうな神様とメールで妄想語りなどを「是非、この妄想をあなたの絵で見てみたい」とは流石に書けないものの、そういう気持ちを込めてやりとりしていたら、神様から「ご自分で描いたらいいと思いますよ」というご宣託を賜った。。。(イタすぎて穴があったら入りたい・笑)サイト構築など、もう何年もしていない。仕事上で必要なサイトも数年放置してあるという自堕落な状態であるにも関わらず、ご宣託を賜った私は、二次創作サイトを立ち上げることにした。参考に、同じジャンルのサイトをいろいろと観察してみる。すると、蛇の道は蛇、ここにはここにしかない仁義があるのだった。それは「検索避け推奨」というものだ。

全然関係ない人々がカンタンにそこにたどり着けないように、二次創作系のサイトは「検索避け」というものが施されている場合が多い。例えば、少年ジャンプの連載漫画などが大好きな(腐ってない)いちファンがその情報を集めようとして検索した時に腐女子系の二次創作サイトがヒットして不愉快な想いをしてしまったら申し訳ないではないかという気遣いのようだ。

私のハマりものは、キャラクター名=国名、という擬人化ジャンルだったために、その「検索避けの呪文」は徹底されていた。(確かに...日米安保問題、鬼畜米英、フランス文学等のワードで検索して引っかかってたら、うひゃーって気分になるかもね...・笑)

『※検索避けされた同ジャンルのサイトのみリンクフリー』という注意書きが、たいていのサイトのトップに掲揚されている。つまり、「検索避けをしないと仲間には入れない」ということでもあるのだ。その存在や魅力を全く知らない人々に向かって「ここにこんな素晴らしいものがありますよ!是非ご覧になってください、そして買ってください。お勧めです!」と、広くあまねく世間に宣伝して購買欲をそそるといった、前世紀的なマーケティングはそこにはない。腐女子たちは、その良さを知らない、解らない人々を啓蒙する気などさらさらないのだ。「私が思うこの良さを理解してくれる人に届けばいい」と思っている。しかし同時に、「その数が多ければ尚、素晴らしい」とも思っている。

検索避けは推奨されてはいるがもちろん強制ではないので、「そんなもん知らん、面倒くさい」と我が道を突き進むこともできるのだが、(実際、検索避けについてはいろいろな議論があるようだ)私はその仁義に添うことにした。そのほうが結果的にはより多くの同胞に届くだろうと判断したのだ。

なぜならば、検索避けして同じジャンルのサイトからリンクを貼られるほうが、検索避けをしないで不特定多数の人間の目に触れるより、より効率的な結果がでるだろう、と思ったからだ。検索で出ないで、どうやってアクセスをしてもらうのか、というと、そこには「限定された入り口」がある。「サーチサイト」というリンク集と「個人サイトのブックマーク」というリンクだ。

サーチサイトというのは同じジャンルの(規模の大きいジャンルになるとさらにキャラごとに分かれていたりする)二次創作サイトをリンクしたサーチエンジンだ。サイトマスターはそこに自分のサイトのデータを登録して、同じものが好きな腐女子たちが見つけてくれるのを待つ。探す側としては、そこからたどり着いたお気に入りサイトからそのサイトマスターが気に入ってリンクを貼っているサイトに飛ぶ、という風にサーフして、嗜好の合うサイトを発掘していく。こういった手順を面倒くさいと思う者はそこにはいない。ぼーっとテレビを見ていて画面に映ったものに興味を示すといった受動的な態度ではなく、大変に能動的で行動的だ。腐女子たちはそれが自分の求めているものなのか、違うのか、直感的に判断し選択していく。そこでは、あらかじめ限定された需要にたいしてあらかじめ限定された供給がなされているのである。

とにもかくにも、古臭いウェブ構築ソフトを使ってなんとかサイトを立ち上げた私は、とりあえず規約のゆるいサーチサイトに登録してみた。しかし、そう簡単にアクセスがのびるものでもない。それでも楽しい。誰かからやれと言われたわけでもないことにエネルギーを注ぎ込む。それが楽しい。なぜなら、自分のサイトの一番の客は自分自身なのだ。「自己満足ではないか」と問われれば「その通りです」ということになる。その自己満足の産物に共鳴してくれる誰かを待って、私はひっそりと生物がどのくらいいるのか解らない深海に釣り糸を垂らしてみた。


よしながふみと三浦しをんの対談の中に「どうにかしたいくらい好きなキャラを、自分じゃどうにもできないから、私の分身としてふさわしいキャラを攻めに指名する」という記述が出てくる。なるほど、と膝を打った覚えがある。

友人Aが「『あしたのジョー』を読んでた頃、ジョーが好きで好きで好きすぎて、あーも~う、なんつーの?とにかくどうにかしてやりたいっ、と思ったことがある」と言った時も、私は深く濃く納得してしまったものだ。

女の身体は性的には受動的にできているので、かなり限定されたシチュエーションでない限りは実生活では受動的な立場になりがちだ。BLを読む腐女子たちは、受けキャラのほうに自分を重ね合わせてエロい妄想に浸っているのだろうという意見をよく見かけるが、それならレディコミや少々過激な少女漫画でもいいし、実生活でも体験することは可能だ。

女性誌のセックス特集などで、男性タレントのヌードが掲載されるような時代になったもののそこに掲載されている男の裸というのは「この男、セクシーでしょう? 抱かれたいと思うでしょう?」というコンセプトで撮影された、あくまでも「抱かれるための、受動的に愛されるための男の裸体」だ。「抱くための、能動的に愛する対象としての男の裸体」というのはそうそうお目にかかれない。お目にかかれたとしても、それは特殊性癖の場合だったりする。そんなに特殊なシチュエーションではなくもうちょっとオトメちっくなシチュエーションで男性をもっと能動的に愛でてみたい!と思った場合に、BLというのは実に都合がいい。この「BLというファンタジー」を通すと、性差を超えて、受動的な立場から自由になれる。口説く側も口説かれる側も、攻める側も受ける側も、記号としての男性(性別不明もあり)で、それを読む私、という存在は第三者的な視点で俯瞰しつつ、そのどちらにでも憑依できるのだ。性的支配と被支配の両方を脳内でスイッチすることだって可能だ。第三者的視点を保ったまま、ストーカーのようにねちっこく観察することもできる。これが男女の組み合わせだったら、役割が決まりすぎていてスイッチしづらいし、女性同士の組み合わせの場合は、第三者的な視点を保つことは難しい。このあたりが、「BL(ボーイズラブ)は女性に都合のいいファンタジー」と言われるゆえんのひとつだと思う。



※元記事はこちら

[ 2010/05/19 21:16 ] 雑談 | TB(-) | CM(0)
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美月

  • Author:美月
  • 【鋼の錬金術師】エドにマジ惚れ。寝ても覚めてもエド!CPはロイエド萌えv
    ノーマルは受付ません。根っからの♂×♂好き。


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